毎日聖書を読む理由…【コロサイ3:1-2】

2025年

こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右の座を占めておられます。
あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。

コロサイ3:1-2

私の実家に物を取りに行こうと自転車に乗りました。

すると、パンクしていたのです。

時間もなかったので次男の自転車に乗り換えました。

購入してから殆どこの自転車に乗った事はなく、

次男の自転車を探して「あれ?」と思ったのです。

私の記憶にある自転車の姿より、古くなっているのです。

思い出してみると、この自転車を購入したのは5年程前…

所々、錆が付いていました。

5年でこんなに古くなるのか…と思いつつ、実家へ。

私の実家は今、誰も住んでいません。

いつも思うのは「誰も住まないと家は古くなる…」という事。

何もしていないのに、埃が積もるのです。

自転車も実家も、手入れをせず放置していたら、

錆びたり埃が積もったりで古くなったのです。

なるほど…

主は今日、私にこれを教えたかったんだなと思いました。

私たちも何もしないと古くなり、滅びるという事です。

運動しないと身体が固くなったり、血流が悪くなったりするように、

私たちは何もしないと、良くなることはなく悪くなるのです。

何もしないと、

心や霊は成長するでしょうか…

神の似姿へと成長するでしょうか。

私たちは、主を求めて生きないといけないという事。

人は生まれながらに罪人です。

なにもせず放置すれば、

自転車や実家のように、

新しくではなく古くなっていくのです。

埃が積もるように、罪が積もっていくのです。

そしてもっと時間が過ぎれば、機能を果たせなくなるのです。

私たちは何もしないで放置すれば、

本能に従って生きていく事になります。

私たちの本能は、人と比べ自分を人より良い状態になろうとします。

他の人が豊かな暮らしをしていたら、

自分もそのような暮らしをしたいと思うし、

自分も豊かな日々を過ごしたいと思う。

人と比べ、自分は幸せになったり不幸になったりするのです。

そして私たちの本能は、欲に従って自分を見たそうとするのです。

つまり、私たちは主を求めず生きていくと

本能に従う人生…

それは命に向かって歩む人生ではなく、滅びに向かって歩む人生。

だから、イエスさまがこの地に来られたんだ…!

改めてそう思いました。

私たちが主を知らずに生きていくと

滅びの道を歩むことになるとご存知だから。

主がこの地に来られた。

…私たちには本能だけでなく良心もあります。

しかし、良心は人によって違い、良心が100%正しいとは言えないのです。

聖書を読めば、

私たちの価値観や基準と主の価値観や基準に、大きな違いが沢山あります。

主は「隣人を愛しなさい」

「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と言われます。

私たちはどうでしょうか。

隣人はまだ愛せても、敵は愛する対象ではありません。

敵は憎むものであり、多少寛容になれたとしても

愛したり、またはとりなしの祈りをする対象ではありません。

聖書は「七度を七十倍するまで赦しなさい」と言っています。

私たちは、一度や二度なら赦せたとしても、

相手が過ちを繰り返すなら許す対象とはならないし、

赦す事は相手の為にもならないと考えるかも…

「仕える者が一番偉い」(マタイ 23:11)

「義のために迫害される者は幸いです」(マタイ 5:10)

「自分の持ち物を捨てて従いなさい」(ルカ 18:22)

「復讐は私のすることである」(ローマ 12:19)

…このように主の基準と私たちの基準が、全く違う正反対な事柄は沢山あります。

私たちは、主の基準を学んで生きていくべき。

だから、今日も主の基準、主の価値観を学ぶべき。

だから…毎日… 聖書を読もう…‼

本能と本質は違います。⇩

人間の本能と人間の本質【ローマ8:29】
なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。 ローマ8:29 病院で仕事中、私は慌ただしく行ったり来たり… ナースステーション...

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

タイトルとURLをコピーしました