すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。
へブル12:11
先日、子どもの高校の卒業式がありました。
次男は高校2年ですが、私は保護者の代表として高3の卒業式に出席。
卒業式を終え、ダッシュで病院(仕事)へ。
そして夜勤業務を終え、家に帰らずまた学校へ。
小学校の入学説明会に参加して、PTA加入の案内をしたのです。
それから会議を3つ…💦
東京から学校のOB理事が会いに来てくれていたのですが、
流石にヘトヘトで…他のPTA役員にお任せをして
私は家に帰りました。
年度末に近付き、卒業、入学説明会、入学式、
また決算報告、予算、総会の準備…💦
身体に疲れが溜まってきたのです。
そして、合間を縫ってストレッチをとおして
身体の筋肉を伸ばしてくれる整骨院へ。
私は多くの人前で話すのは苦手…。
それをするという事は、ストレスでもあり緊張も感じてるのです。
「身体がガチガチすぎ…!もし今こけたら。大けがになるよ!」と言われ
正しい姿勢に戻るように、筋肉を伸ばしていったのです。
本来なら「痛気持ちいい」ストレッチ。
しかし、私にとっては「激痛」であり、
一つ一つの運動が辛く苦しく感じるのです。
本来の正しい姿勢や、筋肉の状態からかけ離れ過ぎていたのです。
だから、取り戻すために、
痛みを乗り越える必要があるのです。
辛さを感じながらも、それを乗り越え
治療の時間が過ぎる、身体の可動域が広がり
何か身体から詰まったものが取れた感じで楽になりました。
終えて見て思った事は、
もともと、本来の姿勢や筋肉の状態というのは、
人間にとって一番自然体であり、楽でバランスがよい状態なはず…。
しかし、自分の身体が本来の姿から
かなり、かけ離れていたから、痛く苦しみを感じてしまった。
でもそれを乗り越えると、身体が解放感を覚える。
自分が良くない状態にいたんだという事が、解放感を通し感じ取れる…
…これって信仰を持つ時の私たちの姿みたい…
聖書や主に出会って、
自分の罪を示されて…
思い出したくもない過去と向き合わされたり、
忘れたいと思っている心の傷がうずいたり…
でも「主よ、信じます」という告白が出るまで
自分の罪や過去」とと向き合うことになり、
身体も心も痛むのです。
しかし、その痛みの原因は、
私たちが主から離れて生きて来たから。
主を中心に生きなかったという証拠のようなもの。
これを乗り越えると、
主の許し、平安、平安、喜び…
心の底から、感謝や喜びが溢れ出るのです。
信仰を持つかどうか、求道中のお方‼
是非…‼
イエスさまをお迎えして下さい‼
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)