自分にとっての最善が…的外れだったら?【ルカ24:1-6】

2025年

週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。
見ると、石が墓からわきにころがしてあった。
入って見ると、主イエスのからだはなかった。
そのため女たちが途方にくれていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た。
恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。
ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい。

ルカ24:1-6

今日読んだ聖書の箇所です。

ルカの一番最後の章です。

マリヤたちがイエスさまのお墓に行き、

御使いに出会い「ここにはおられない」と聞かされた場面。

安息日が明け、明け方早くに、数名の女性がイエスさまに

香油を身体に塗ろうとして、お墓に向かったのです。

当時、亡くなった人に香油を塗るのが

女の人の仕事だったのかどうかは分かりませんが。

亡くなられた方に香油を塗るというのは習慣だったようです。

弟子たちは行かず、女性だけが「明け方早く」言ったのです。

明け方早く…多分、早くイエスさまのお体に香油を塗って差し上げたい…!

という思いが強かったのではないかと思います。

イエスさまが亡くなられ、さぞショックを受けただろうし

悲しさに包まれたと思います。

この時の世の中の情勢で、

イエスさまの身体に香油を塗るというのは

自分はイエス派だという告白をしているんのではないか?

マリヤたちのこの行為は、勇気を出した行為ではないのか?

明け方早く、お墓に向かったマリヤたち…

早く香油を塗ってあげたい…という思いで

安息日が過ぎるのを待っていたんだろうな…と思います。

もしそうだとしたら、

マリヤたちは、自分に出来る最大の事をしようとしたのです。

今、自分に出来ること。

遺体に香油を塗るという事は

当時の人たちにとって、大切な行為だったんだと思います。

しかし、そのお墓にはイエスさまがおられず、

イエスさまは、生き返られ、お墓には不在!

天使に「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。」

と言われたのです。

ドキッとしました!

生きている人を死人の中から探すとは…

探している人が見つかる訳ではなく、的外れな行動です。

この個所を読んだ時、

私にも言えることかもしれない…💦と思ったのです。

自分が考える「最善」という行為や発言は、

実は途轍もない、

死人の中から生きている人を探すような

絶対に見つかるはずがない

「的外れ」な言動や選択かもしれない…💦

と思ったのです。

自分に何か問題が生じた時、

自分に出来る最大限を用いて対処しようとします。

その問題に対しての情報、解決法をネットで検索…

また信頼できる人に相談したり。

もしその問題が私1人だけのものでなかったら

そこに関連する人たちと、解決に向けた話し合いをもちます。

問題から解放され、苦しみの少ない時間を過ごす為…

最善を尽くそうとします。

自分の頭からでる発想の最善…

それは、主の目には「見当違い」「的外れ」な行動

という可能性が大…💦

私の最善の行動は

生きている方を死人の中で捜しているのかもしれません‼

主の解決方法は、

私の人とのおしゃべりの中や、ネットの中にあるのではなく、

聖書の中にある。

祈りや賛美の中にある。

自分にとって最善だとしても

それは検討違いな可能性がある…💦

と思ったのです。

自分の人生で最善を尽くし懸命に生きたとします。

そして天に召され

主に出会った時、

粉骨砕身した時間、その人生は

実は的外れだったと分かったら…?

主に与えられた人生という時間を

意味のない時間として過ごしたという事。

的外れない生き方に時間を費やしたという事。

それは、凄く残念過ぎる人生…

私ってまだまだ…💦

反省する事が多い毎日です…

でも… 今、生きている間に気付けて良かった…。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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