これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。
詩篇118:24
初めて一緒に夜勤になった看護師Aさんがいます。
お子さんがいる事は知っていました。
夜勤の合間にAさんが私に「子どものイヤイヤ期ってどうしてました?」と聞かれました。
お子さんが2歳だそうで、イヤイヤ期の真っ只中だそうです。
それに付き合うのがストレスだそうで
「早く小学校に行くぐらい成長してほしい…!」と言われていました。
それを一緒に聞いていた看護師Bさんは
「私の長女は中3。受験生。早く受験終わって高校生になって欲しい…!」と言われていました。
そして2人とも、今の忙しさ、大変さを話されていました。
確かに!分かる分かる…!という内容。
その2人の話を聞きながら、
私は高2の次男が早く卒業したら、
私も学校の問題から解放され楽になるのに…と思いました。
そしてふと思ったのです。
確かに、私も子どもがイヤイヤ期だった時、
早くもう少し大きくなってくれないかな…と思いました。
そして年中ぐらいになると「早く小学校に入ってくれないかな~、
お迎えとかなくても自分で家に帰って来れるのに…」と考え
小学校に上がったら「小学校1.2年生ってまだ幼児と同じ…
高学年ぐらいにならないと安心してお留守番とか頼めない!」と思い
高学年になると「中学生になったら一人でもっと色んな事を解決する年齢になるのに」
中学生になると「反抗期早く過ぎ去って欲しい…」
高校生になると「大きくなったけど、まだまだ子ども!
やっぱり大学生にならないと大人ではないな…」と思っていました。
大学生になったら「大学卒業したら学費という負担から解放されるのに…」
常に、今ある状況は大変だから
「もう少し、こうなったらいいのに」
「もっとこうなれば楽になるのに…」って思っています。
そしてAさんの話を聞きながら私は
「今、思えばだけど…。子どもが小さい時って何かと大変だったけど
今になっては子どもが小さい時が一番楽しかったと思う」
「子育てで一番幸せなのは、子どもが小さい時の様な気がする…」
そして、仮にイヤイヤ期が終わって小学校に入っても
もう少しこうなれば…という思いは、ずっと続くという話をしました。
…そして、今思えば、その時を楽しめてなかったように思う…と話しました。
忙しい、大変、自由がない…など
その様な理由で「こうなれば」「ああなれば」と
現在に生きながらも、
未来の事ばかり考えていたように思うのです。
そして、それは今も同じ。
何かにつけて現在を見つめ歩まないといけないのに。
未来を思い待ち焦がれたように生きている…
何か変です。
これからもっと時間が過ぎ、
この世を去る時に、私はどう思うんだろう。
その時その時をもっと楽しめば良かった。
子どもが2歳なら、2歳を楽しむべき。
子どもが反抗期なら、反抗期を楽しむべき。
今を生きるべきだっと思いそうです。
主が下さった時間を生きるべき。
今、何か問題があったとしても、
その時間を主と共に過ごし、
苦しさの中で主を感じるべき。
辛さの中で主を見上げるべき。
「この問題が解決したら…」と心を現在から未来に飛躍せずに…
主と共に問題を見つめ、
主と共に問題を乗り越えるという事を学ぶ時間。
私たちは弱いから、
直ぐに問題から逃げようとしてしまう…
現在を主と共に楽しんで生きよう…‼
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)