「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。
主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。
私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」ホセア3:1-3
テレビで見たのですが、
芸能人が街をぶらぶら…
出会った人に「この辺で何が美味しいのか」「何を食べたのか?」と聞き、
そのお店に行って食べたり、
出合った観光客と話したりする番組。
出合った大学1年生の男子2人が「今からご飯を食べに行きたいけれど、
どこに行ったら良いのか分からない」と言うのを聞き
その芸能人の方が、先に聞いていたお店に一緒に行こうと誘っていました。
「良いのですか?!」と大学生2人は喜び、ついて行きました。
ちょっと高級なお店。
ナイフとフォークの使い方もイマイチ分からない大学生。
何を食べても「お…美味しいです…!」と感動。
お店の人が「これは今朝採れた魚で、普段はお店ではないメニューとなっています」というと、
芸能人の方は「えー凄い! 今日はラッキーな日に来たんですね!」と喜んでいました。
一品一品、料理の説明をしてくれていましたが、
大学生2人は、何を言ってるのか分からない様子。
芸能人の方に、今食べている食レポをしてみろと言われ
「すんごく…美味しい… 食べた事のない味。
でもこれは何かは分からない…」と言っていました。
そして芸能人の方が、冗談交じりで「お前らに食わせるのは勿体ない(笑)」と言っていました。
大学生も深く頷き、
「僕たちは食べたらダメなものばかりです~
これは、もっと価値の分かる人の食べ物です…」と言っていたのです。
芸能人の方が笑いながら、料理の補足説明をされたのですが
その説明も大学生にはチンプンカンプン。
初々しく可愛かったのですが、
その姿を見ながら、
料理に対して知識のある人が食べれば、その価値が分かる。
しかし、料理に重きを置いていない人が食べれば。その価値は分からないのです。
価値を知っている高尚な者通し、通じ合う事があるという事。
神さまも同じかもしれない!と思いました。
神さまは高尚なのです。
私たちより遥かにレベルが高いのです。
だから、神さまの計画、ち密な伏線…
私たちの髪の数から、星の数まで知っておられる方。
少し先ではなく、
永遠と思えるような時間の中で住まわれているのです。
私たちとレベルが違うのです。
先ほどの大学生が、一流シェフに、料理の仕方に意見を言えないように、
私たちは、主の一つ一つの計画を、評価できる立場ではない。
しかし、私たちは先ほどの大学生のような存在であるにも関わらず、
「おかしくないですか?」
「いつまでですか?」
「答えて下さい!」
「あなたが本当にいらっしゃるのなら…」と言ってしまうのです。
…私たちと主はレベルが違うから、黙っておくべき!という意味ではありません。
料理の価値が分からない大学生は、
経験を積めば良いのです。
色々なものを食べ歩いたり、ネットなどで沢山の情報もあります。
食材から学べばもっと料理に奥行きもでます。
料理について、食べ物について、学べば学ぶ程。
見分ける力、味の違いなども養われていくのです。
私たちも同じ。
主と私たちのレベルは違い過ぎ、
主がどうしてこのような事をされるのか、全く理解出いない事が多いのです。
だからといって全てお任せで黙って過ごす…のではなく、
主を知っていくのが一番なんだと思います。
主がどういったお方なのかは、聖書に書かれています。
礼拝、デボーションや祈り、賛美、交わりを通して、
私たちは主を少しづつ、知っていく事が出来るのです。
今日も、一歩近づけるように、
主との時間を持とう…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)