願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。
ヤコブ4:3
ふと、私は今、
主に、何を祈っているんだろう?と思いました。
私が今、祈っていること…
兄弟や友達の救い…
神社に対しての祈り(ブログ2023.04.28~)、
学校の問題、
沢山の人と会い話す中で、知恵が与えられるように、
子どもの進学や将来のビジョンについて、
家族の健康、
今日、主が私に教えようとしている事を悟る事が出来るように…
などなど。
じゃ、クリスチャンとなって今まで、上記の内容以外で
何を祈って来たんだろう?と思いました。
今している事が成功しますように。
今、取り組んでいる事において、良いアイデアを下さい。
良い人たちと出会えるように。
目の前にある問題解決。
自分の結婚や転職先、
あれが欲しい…これも欲しい…だって必要…
経済的祝福、
これから歩むべき道を示して下さい。
などなど。
これ以上にも、祈って来た内容を沢山思い出しました。
祈りの内容って、今も昔もあまり変わっていないな…と思ったのです。
そして、凄い事に気が付きました!
私が祈る殆ど内容が、
自分に関してです。
「私が幸せを感じたい」という思いからの祈り。
私が幸せを感じたいから、成功したい。
問題解決したい。合格したい。健康でいたい。
選択を間違いたくない。苦労したくない。
祝福を得たい…。
私の祈りの殆どは、自分の幸せの為なのです…💦
主が、私から聞きたい祈りって何でしょうか。
日々の生活の中で感謝する祈り。
悔い改めの祈り。
主と共に歩みたいという祈り。
主に従いたいという祈り。
主の御声を聞きたいと願う祈り。
とりなしの祈り。
主ともっと関係を深く持ちたいという祈り…
…主が聞きたいと思われている祈りより、
これが欲しい、こうなって欲しいという、
自分が満たされたいという祈りが遥かに多い…
そして、自分が満たされたいという
自欲を満たしたい祈りがきかれなかったら…
私たちは荒野にいたイスラエルの民のように、
主に対して嘆くのです。
そして信仰が揺れ、不信仰になるのです。
簡単に言えば、
自分の願いを聞いて貰えなかったら、
私たちは神を信じるのが難しくなってしまっているのです。
はあ…
いつまでたっても自分中心な信仰。
私たちは、よほど意識しない限り、
自分を満たす祈りをし、そして不信仰というループに
陥っている様に思います。
私たちは時折、立ち止まり、
「私は主に、何を祈っているのか」と
思い起こす必要があるように感じました。
神の子として、成長した姿で祈れる者となりたい…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)