友達ってなに?【マタイ22:37-39】

2024年

イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
これがたいせつな第一の戒めです。
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

マタイ22:27-29

夜勤明けの日以外は、次男を車で学校に連れて行っています。

コロナが始まった時からです。

そして近所で、小学校からずっと同じクラスの男の子も一緒に。

もう、コロナも落ち着いてるのですが、

この男の子の家庭の事情があり、車で登校が続いています。

今朝の話題は

「友達ってなに?どこからが友達?」でした。

次男が言い出して、2人で「難しいよな~」と話していました。

自分が友達だと思っていても、相手はそう思っていない場合があるという理由。

次男は、教会で奉仕をするようになってから、

少し性格が外交的になりました。

知らない人に話しかけたり、困っている人を助けたり…

しかし、同級生のAくんは、話しかけて欲しいスタイルです。

仲が良くても話をするより、聞く方が好き。

新しい友達を作るのに時間がかかるようです。

次男は「ちょっと話をしたら友達って思っていたけど…

相手がそう思ってない時にショックが大きい」と話し

Aくんは「話しただけで友達? 何回会ったら友達判定?」

と言う内容が続いていました。

そして2人が私に「オンマ(韓国語でママの意味)の友達の定義はなに?」

私「オンマもあなたたち位の時から、友達って…?て考えたよー

多分、多くの人が誰でも悩み考える課題だと思うな~」と言い

「オンマの友達の定義は、オンマがこの人良いな!

この人好きだな!と思ったら友達。

相手の意思は関係なし。」

2人「えーー相手の意思関係なし??」

私「会う回数とか、話をする回数は関係なしで、

あーこの人良いな~って思う瞬間ってあるでしょ?

その時に ‟この人は友達♡” って思う。

友達ってさ、仲が良くても、お互いの相手を思いやる熱量に差があるもの」

「自分は相手を気を使って配慮したとしても、

相手は自分に対して配慮をしてくれなかったら、悲しく感じる…

それはみんな同じ」

「もともと人の熱量って差がある。

だからgive&takeで友達だと思わない方が良いと思う」

「自分はこの人が好きだから、

この人が困らないように配慮してあげようって思えばいい」

「そう考えたら、相手が自分に何か配慮をしてくれたら、

凄く感謝を感じれる…」

と言う話をして学校に行きました。

私は1人帰り道、

「次男たちも友達について考える年になったのか~」と思いながら、

昔の自分を思い出しました。

そして、私も母にこのような友達について

モヤモヤした思いを話した記憶を思い出しました。

その瞬間、

この私が次男に話した友達の話…

聖書的かも!と思ったのです。

隣人を愛するとは、相手に見返りを求めないもの。

主も私たちに見返りのない愛を与えてくれています。

十字架の罪の許しも…

一方的な愛と許しです。

多分、私が次男のように友達ってなんだ?と悩んだ時、

母からのアドバイスが影響しているのではないか?と思いました。

私は、22歳で初めて教会の礼拝に導かれたのですが、

教会に導かれる前から、小さな種を植えてもらっていたんだな…と

思うと母を懐かしく思い出しますし、

信仰を持って育ててもらった事が改めて感謝です。

親子関係だけでなく、夫婦関係、恋人関係、友達関係においても

主の愛を伝える事の大切さ、

小さな種蒔きを今日もしたいな…と思いました。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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