イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
これがたいせつな第一の戒めです。
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。マタイ22:27-29
夜勤明けの日以外は、次男を車で学校に連れて行っています。
コロナが始まった時からです。
そして近所で、小学校からずっと同じクラスの男の子も一緒に。
もう、コロナも落ち着いてるのですが、
この男の子の家庭の事情があり、車で登校が続いています。
今朝の話題は
「友達ってなに?どこからが友達?」でした。
次男が言い出して、2人で「難しいよな~」と話していました。
自分が友達だと思っていても、相手はそう思っていない場合があるという理由。
次男は、教会で奉仕をするようになってから、
少し性格が外交的になりました。
知らない人に話しかけたり、困っている人を助けたり…
しかし、同級生のAくんは、話しかけて欲しいスタイルです。
仲が良くても話をするより、聞く方が好き。
新しい友達を作るのに時間がかかるようです。
次男は「ちょっと話をしたら友達って思っていたけど…
相手がそう思ってない時にショックが大きい」と話し
Aくんは「話しただけで友達? 何回会ったら友達判定?」
と言う内容が続いていました。
そして2人が私に「オンマ(韓国語でママの意味)の友達の定義はなに?」
私「オンマもあなたたち位の時から、友達って…?て考えたよー
多分、多くの人が誰でも悩み考える課題だと思うな~」と言い
「オンマの友達の定義は、オンマがこの人良いな!
この人好きだな!と思ったら友達。
相手の意思は関係なし。」
2人「えーー相手の意思関係なし??」
私「会う回数とか、話をする回数は関係なしで、
あーこの人良いな~って思う瞬間ってあるでしょ?
その時に ‟この人は友達♡” って思う。
友達ってさ、仲が良くても、お互いの相手を思いやる熱量に差があるもの」
「自分は相手を気を使って配慮したとしても、
相手は自分に対して配慮をしてくれなかったら、悲しく感じる…
それはみんな同じ」
「もともと人の熱量って差がある。
だからgive&takeで友達だと思わない方が良いと思う」
「自分はこの人が好きだから、
この人が困らないように配慮してあげようって思えばいい」
「そう考えたら、相手が自分に何か配慮をしてくれたら、
凄く感謝を感じれる…」
と言う話をして学校に行きました。
私は1人帰り道、
「次男たちも友達について考える年になったのか~」と思いながら、
昔の自分を思い出しました。
そして、私も母にこのような友達について
モヤモヤした思いを話した記憶を思い出しました。
その瞬間、
この私が次男に話した友達の話…
聖書的かも!と思ったのです。
隣人を愛するとは、相手に見返りを求めないもの。
主も私たちに見返りのない愛を与えてくれています。
十字架の罪の許しも…
一方的な愛と許しです。
多分、私が次男のように友達ってなんだ?と悩んだ時、
母からのアドバイスが影響しているのではないか?と思いました。
私は、22歳で初めて教会の礼拝に導かれたのですが、
教会に導かれる前から、小さな種を植えてもらっていたんだな…と
思うと母を懐かしく思い出しますし、
信仰を持って育ててもらった事が改めて感謝です。
親子関係だけでなく、夫婦関係、恋人関係、友達関係においても
主の愛を伝える事の大切さ、
小さな種蒔きを今日もしたいな…と思いました。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)