それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」
マタイ26:39
アブラハムは、ソドムとゴモラが滅亡する時、
そこにいる甥っ子の為に、主に祈りました。
「そこに50人の正しい人がいるかもしれません。
45人、40人、30人、20人、10人…」
交渉するような祈りをしました。
そして、主の初めにたてられた計画を
変える祈り。
祈りとは、このように諦めずに祈り続ける。
ヒゼキヤ王も、主に祈り、余命を15年伸ばしました。
そのような祈りとは諦めず祈り続ける…というイメージがあります。
諦めずに祈るというのは、凄く大切です。
しかし、それよりももっと素晴らしい祈りがあるようです。
マリヤは婚約者が居ながらも、それが破談になる可能性を知りながらも
「主の御心通りになりますように」と、
自分の願いではなく、
主の願いを受け入れたのです。
ペテロは、一晩中漁に出て一匹も魚が採れませんでした。
主に「深みに漕ぎだし網を下ろしなさい」と言われ、
疲れきった身体で網の整理をしているのに、
舟をまた出し、網を下ろしたのです。
そして一番の私たちの祈りのモデルとして、
イエスさまの祈りがあります。
「この杯を私から過ぎ去らせて下さい。
しかし、わたしの願うようにではなく、
あなたの御心通りになりますように」と祈られました。
イエスさまは、ローマの兵士に囚われた時、
抵抗出来なかったのでしょうか?
鞭打ちに会った時に、
それを止める力がなかったのでしょうか?
人々に罵倒され、ツバキをかけられた時、
その人の命を奪うことが出来たはずです。
十字架にかけられた時、
十字架から降りることはできなかったのでしょうか?
諦めずに願い続ける祈りは大切。
しかし、もっと素晴らしい祈りは、
自分の願いを捨て、主の御心に従います。
という祈りなんだと思います。
諦めずに祈り続ける事は、凄く大切。
しかし、自分の願いを放棄し、
「主の御心通りになりますように」と祈れるようになりたい…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)