真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。
使徒16:25
子どもと同じ学校の保護者が、
多分、この辺りでは一番高いのではないか?と思える
マンションに住んでいました。
しかし彼女は何度となく
「引越ししたいのよね~」と言っていました。
私が「どうして? マンション、凄く見晴らし良さそう!」というと。
「じゃ、次の打ち合わせは、私の家でしよう!」と
自宅に数名の保護者を招待してくれました。
外観からして、高そうなマンション。
家に入ると、広い…!
どうしてここを離れたいんだろう…と不思議に思っていました。
そんな事を考えてると、彼女が「これを見て!」と言い、
ある部屋のカーテンを開けました。
高層なので、少し他の建物は小さく見えます。
「スゴーイ!」と言いながら、
「あーあれはどこ?」「え?こっちが北?」とか
保護者はそこから見える建物が、
知っている建物があるか見ていました。
そしてふと見ると、学校にしては大きすぎじゃない?という
グランドの様なものが見えました。
そして同じ服を着た人たちが大勢、グランドにいたのです。
「あれ…何?大学なんてここにないよね」
というと
「あれが、私が引越ししたい理由なのよね」と。
どうやら、刑務所だったのです。
…何となく刑務所があったのは知っています。
しかし、普段の生活で刑務所を上から見る事はなく…
たとえ近くを通っても、壁が高く、普段あまり意識していませんでした。
彼女が言うには、
皆が同じ服をきて、規則正しく
朝決まった時間になると、体操したりトラックを走ったり…
毎朝、カーテンを開けると、
それが目に入り気分が明るくならない…というのです。
そして「せめて修道院だったら良かったのに(笑)」と言いました。
私は、あれ?どうして修道院?
あ… 修道院も刑務所も、拘束された生活を送っているという意味で…と理解しました。
彼女はクリスチャンなので、
私が「どうして修道院だったら良かったの?」と聞くと
「賛美をしてる姿が見れたかも」と答えました。
確かに…刑務所も修道院も、似た面があるかもしれません。
規則正しい生活をしないといけないし、
食事も就寝も、自分勝手には出来ません。
ちょっとコンビニに…なんて出来ないでしょう。
大きな違いは、刑務所は嫌々入れられている状態。
修道院は自主的に身を置いているのです。
存在目的は、犯罪を犯したから、罰を受ける為に入る所と、
主に人生を捧げたい…という思いに大きな違いがあります。
その結果(多分ですが)
刑務所に入っている人は、
一日中、否定的な言葉が、口から溢れるでではないでしょうか。
修道院に入っている人は、
一日中、主への感謝を口ずさむのではないでしょうか。
…これは大きな違いです。
刑務所と修道院の違いを考える中、
パウロがシラスが鞭打たれた後、牢獄に入れられた場面を思い出しました。
2人は、牢獄の中で賛美を捧げていたのです。
今日の御言葉を見ると、
パウロとシラスは、真夜中に祈りつつ賛美をしていたのです。
「うるさい‼」と言われても仕方ない時間帯。
しかし「ほかの囚人たちも聞き入っていた」のです。
何を感じ何を思い、聞き入っていたのでしょうか。
癒しや慰めかもしれません。
自分の罪深さを反省したかもしれません。
私は多分…「この世には神がいるんだ…」という事を
感じたのではないかと思います。
普段、汚い言葉や文句ばかりを言い、霊的に疲れ切っている魂が
賛美を聞き、安らぎを感じたのではないでしょうか。
パウロとシラスは、修道院にいて、祈り賛美したのではなく、
牢獄に入れられた時に祈りと賛美を捧げたのです。
という事は、
場所は関係ないのかもしれません。
究極論ですが、牢獄であっても修道院に変える事が出来るという事。
という事は、
今、自分が最悪な状況にいたとしても、
それを祈りと賛美をもって、
自分の魂を、最悪な状況から最高な状況へと変える事が出来る!
という事は、
今、自分が置かれた状況って、
ある意味それ程、重要ではないかもしれない…
問題は、その場で自分が何を選択するか…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)