あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。
マタイ7:11
教会の姉妹が
「どうしたら主の祝福を貰うことが出来るのか」
「祝福を受ける人と受けない人の差は何か」
と聞かれました。
正直、分かりません…
でも分かる部分もあります。
多くの祝福は「宝くじ」の様なものではないと思います。
沢山祈ったら、沢山願ったら、祝福されるのか…
聖書には「求めなさい。そうすれば与えられます」とあります。
だからと言って、
何が何でも求め続ければ…というのは違うように思います。
一番大切なのは、今日の御言葉にあるように
主は「良いもの」を下さる方なのです。
良いものとは何でしょうか。
小さな子どもが、銃を欲しいと懇願しても、親はそれを子どもにとって「良いもの」とは判断しません。
祈っても祈っても与えないのです。
与えない事が子どもにとって良いからです。
「良いもの」とは、私たちの目に魅力あるものではなく、
主の目に「良いもの」なのです。
つまり、「主の御心」が良いものなのです。
私たちが、一心不乱に願って祈っても、
良いものでなければ与えられないのです。
…という事は、
「御心を知る」と言う必然性が出てきます。
だから、自分の願いを祈る前に、主の御心を知る事が大切なのです。
主の御心に耳を傾けず、
懸命に祈り続け、
結果、自分が期待する事が与えられない場合…
私たちは失望するのです。
「神さまは本当にいるんだろうか…」という疑問が
頭を過ぎるのです。
「こんなに祈っても、応えられないなんて…
主は私を忘れておられるのではないか?」と言う考えが
フツフツと出てくるのです。
しかし、本当は、
主が私を忘れているのではなく、
私たちが主を忘れているのです。
一方的に自分の思いを語り続け、
主の思い、主の計画、主の御声には耳を傾けないのです。
「主よ。私は、こう思います。」
「私はこうなったら良いと思います。」
「私の願いは、こうです。」
「なぜなら…」と続け、
「しかし、私は主の思いを知りたいです。
主のお考えを知りたいです。
主が望まれているものを選択したいです。
どうか私に主の御心を教えて下さい。
私は主に聞き従います。」と祈るのです。
私たちは、沢山、自分の思いの丈を主に語り、
次、主が語ろうとする時、
私たちは、席を立ち去っているのかもしれません…
想像したら滑稽ですよね…
気を付けよう…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)