祈る前に考える事…【Ⅱコリント12:9】

2024年

しかし、主は、「わたしの恵事みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。

Ⅱコリント12:9

ふと「私の恵みは、あなたに十分である」という

御言葉が何度となく頭に思い浮かびました。

パウロが、自分の病(肉体のとげ)を取り払って欲しいと祈った時の主の答えです。

私の恵みは、あなたに十分である。

というのは、

私の力は弱さの内に完全に表れるからである。」

この言葉…

少しぐらい不便があっても、

これぐらいは、受け取りなさい。

これぐらいは、我慢しなさい。

これぐらいは、許容範囲だよ。

あなたには、もっと多くの恵みを上げているじゃないか…

という意味ではなく。

今、病がある状態が、 あなたはとっては十分。

パウロの病は、目の病気で、見た目で病だと分かる状態だったと言われています。

私たちにとって、病は不必要な物であり、

誰もが、病は、自分にとって「マイナス」だと考えます。

しかし、今日、この個所を思い出し、

もう一度聖書を読んで見て、

パウロにこの病があるのは、

「私が⾼ぶることのないようにん」(7 節)と、

「キリストの⼒が私をおおうために」(9 節)です。

そして、

「主の力は、弱さの内に完全に現れる」(9節)のです。

パウロに病がなければ、

主の力は、完全には現すができない。

キリストの力がパウロを覆いきれない

パウロが高ぶる可能性がある

のです。

ということは、病はパウロにとって「恵み」だと言えます。

私たちにとって、

完璧に自分にとってマイナスでしかないものが、

主はプラスとして用いられることもあるという事。

だとすれば、

今、自分が置かれた状況が、大変良くなく、

一刻も早く解放されたい状況だったとしても、

それは私の感覚で、自分にマイナスであって、

主に取っては、私に与えらえたプラス、恵みかもしれません。

主の目と私の目は違う。

私の思いと主の思いも違う。

主がプラスとして与えられているものを、

「マイナスだ!主よ。早く取り下げて解決して下さい‼」と

祈っているかもしれない…

まず、今与えられている状況を変えて欲しい‼と

祈る前に、

「今置かれた状況で、主は何を私に語ろうとされているのか」を

祈らないといけない…

その様に感じました。

今までは、反射的に、一方的に

「主よ!解決を!」

「主よ、助けて下さい‼」

「主よ、この問題に介入して下さい‼」と

祈っていました。

自分で、プラスかマイナスかを判断するまえに

主にご意向を聞かないと…💦

今から、自分が置かれた状況を、

自分がプラスかマイナスかを判断するのではなく、

まず、主はどの様に御覧なのかを

祈っていくべきなんだ…

祈る前に、心を落ち着かせ、

一呼吸おいて祈らないと

主が与えられた恵みを「マイナスです‼」と

叫んでいるかもしれない…。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~

タイトルとURLをコピーしました