主と共に過ごし歩む⑦【詩篇8:4】

2024年

人とは、何者なのでしょう。あなたがこれに心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。

詩篇8:4

先日、韓国に住む長男からラインが来ました。

「僕は赤ちゃんの時、どんな子どもだった? 手がかかる子どもだった?」と聞いてきました。

どうやら、何かを悩んでいる様子…

そして、長男はどんな子どもだったんだろう…と

私は、過去の記憶を辿りました。

長男は、よく食べたし、よく寝た。

意味が分からず泣くことがなかった。

病気にもあまりかからなかったし、育てやすかった。

強いて言えば、

色んな事に興味津々過ぎて、追いかけるのが大変だったな~と

色々な場面が思い出されました。

私は子どもは2人ですが、長男と次男の間に里子を2人育てています。

その里子の幼児の記憶がとても濃く…

長男の幼児の記憶が…💦

そして、記憶を辿るなかで、1つ凄く感謝な記憶が蘇りました。

今日はそれを記録しようと思います。

長男が生まれた時「自分の知っている事を全て教えよう」と思いました。

信仰はもちろん、知識も。

私が持っている知識は大したことはありませんが、

生まれて来た子どもと比べると、私には莫大な知識があるのです。

だから、1つずつ話そうと思い、

沢山の声かけをしました。

例えば、道にたんぽぽが咲いていたら

「たんぽぽ」という名前だけでなく、

日本たんぽぽと、西洋たんぽぽの違い。

タンポポは「多年草」だという事も教えました。

花には、多年草、一年草、宿根草があると教えました。

そして「信仰は多年草であり、宿根草であるべき」ということを

話しました。(今考えたら、どこまで理解していたのかは不明…)

長男が2、3歳ぐらいの時、

自転車に乗せていた時、高架下を通りました。

そして私は自転車を停め「あー」と声を出しました。

すると声が反響します。

何度か繰り返し、そして自転車を高架下から離して

「あー」と何度か聞かせ、

また高架下へ。そして「あー」という声が反響する事を感じさせました。

しかし、イマイチこの違いが分かっていない様子。

ちょっとまだ分からないかな~と思い、家に帰りました。

1週間程して、またその道を通ったのです。

そして、また同じようにしてみました。

すると長男の反応は、分かってるのか分かっていないのか?という感じでした。

そしてそれからまた一週間が経ちました。

この時、私は凄く信仰がダウンしていたのです。

何もかもが上手くいかず、心は悲しみで溢れ…

神さまは私と私の家族を、忘れているんじゃないか…と感じていたのです。

私は余りにも小さい人間だから…

忘れられても仕方ない…と感じ、

凄く悲しさが一杯になってしまっていたのです。

ですから、この日は特に長男に話しをかける事もなく、

自転車に乗せていた時、

目の前に、高架が見えました。

一瞬「反響を教える?いや、まだ分からないだろう。まだ無理だろう。

先週、ここで反響を教えた事を覚えているはずがない…」と

思い、私は何も言わずに高架下を通りました。

すると、長男が高架下に入った瞬間、

大きな大きな声で「あー!あー!あー!」と叫びました。

私は「え?(笑)」と思い、高架下を過ぎ去ったのですが、

高架下を過ぎ去っても

長男は止めることなく「あー!あー!あああああ!!!」と

増々大きな声で叫ぶのです。

私は自転車を停め、涙が出ました。

長男に「もういいよ。もう分かったから…」と言っても

「あー‼あー‼ああああああー!!!」と叫び続けるのです。

私は長男を抱きしめて

「もう大丈夫。もう分かりました。主よ、ありがとうございます」と言いました。

主は覚えているのです。

そして私が主を忘れ、主を必要としていない瞬間も

主は覚えているのです。

そして、それは私の事を忘れず記憶してくれているというレベルではなく、

凄く沢山、深く心に刻んで下さっているのです。

凄く小さかった長男が、驚く程大きな声で、叫び続けたのです。

私が「分かった…」と言っても

叫ぶ事を辞めなかったのです。

こんなにも大事な体験… 私は忘れかけていました…💦

もう一度、この出来事を、私の心に刻もう。

主は、私たちを忘れられるお方ではない。

単なる記憶してるというレベルではなく、

思いっきり力いっぱい注視して下さっているのです。

今日も、今も…

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~

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