主と共に過ごし歩む⑤【詩編139:23-24】

2024年

神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。

私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。

詩編139:23-24

韓国に住んでいる長男が、教会の青年会で国内短期宣教に行きました。

済州島(チェジュ島)に一週間行きました。

32名の青年が参加したそうです。

長男は、中学生の時から短期宣教によく行っています。

今年は、青年部の牧師先生と神学生の長男が

リーダーとして下見をし、計画を立て準備をしたそうです。

長男は「今年の参加人数は最高に多い!」

「早天祈祷のメッセージを任されてる」と言っていました。

短期宣教に行く前に、参加者は何度も何度も集まり、

実際的な準備や、祈って霊的な準備をするのです。

そういう意味では、短期宣教は行く1カ月程前から始まっているのです。

長男は、出発する時や、途中途中で写メを送って来てくれていました。

そして、短期宣教が始まって3日経った夜中に電話がありました。

疲れ切った声で、祈って欲しい…と。

今まで経験したことがない位、みんながバラバラだと。

互いにストレスがあり、凄く雰囲気が悪い…

その理由として、済州島も雨が凄いらしく、天気が悪すぎる。

そして外に出て伝道!と言うより(雨で外に出れない)

教会の補修工事をする時間が長く、

皆が思っていた宣教旅行と違う…と感じている様子。

皆が、自分が感じる不満からくるストレス。

でもこのストレスは可笑しい…

自分が望んでいた宣教旅行と違うというストレスに対して

悔い改めが生じたようです。

礼拝は一日に何度も捧げます。

その度に、一人ひとりが前に出て、

自分の思いを告白し、悔い改めたそうです。

それを聞いて私は「あ~じゃ、ちょっとは雰囲気良くなったの?」と聞くと

長男も大きなストレスを感じている様子。

どうしたのかと聞くと、

どうしても1人だけ…悔い改めを聞いても

「何それ?」と思ってしまう人がいると言うのです。

長男より8歳年上のお兄ちゃんがいるのですが、

普段から自分勝手で青年部の輪を乱すところがあり、

存在自体に難しさを感じていたそうです。

長男は初め、彼が短期宣教に参加すると聞いて、驚いたそうです。

そして実際に参加してみて、

流石に短期宣教に来てるんだから…と思っていたそうなのですが。

「したらいけない事しかしない!」と言うのです。

「今は私語を辞めて話を聞いて下さい」→ 1人話し続ける

「食事の時間です」→ 食べない。食事以外の時間に食べる。

「消灯時間です」→ 寝ない。奉仕時間に寝る…

「もう…30歳になるお兄ちゃんなのに…中学生の反抗期みたい…」

「話し方も攻撃的」「何かにつけて文句を言う」

「輪を乱そうとしようとしてるとしか思えない」

「…なのに…悔い改める…でも…礼拝が終わったら何も変わっていない。

ずっとふざけているし、他の人も迷惑を感じている。

多分、自分でも分かってると思う…」

祈っても、悔い改めても、態度が1つも変化がない。

そのような彼の悔い改めを聞くと、

長男にとって、彼の悔い改めが一層ストレスを感じさせたようです。

…何となく分かります。

長男の気持ちが。

教会にも「この人は本当に…どうしてだろう…」と思ってしまう方っていると思います。

「本当にクリスチャンなのか?」と言いたくなる…

長男は、短期宣教を終え、宣教中の写真を送って来てくれました。

一枚の写真が気になりました。

多分、土木的な作業を終え、1人そこに残り、周りには誰もいない様子。

腰を掛け、頭を垂れて手を組んで祈っている姿。

祈る姿に哀愁を感じました。

私たち家族は、それが長男のように見えました。

昨晩、通話をした時、

「あの写真は誰が写してくれたの?

あなたが1人作業場に残って祈ってる姿を見て、

本当にしんどかったんだろうな~と思った」というと、

「どの写真? あ、あれはあの8歳年上のお兄ちゃん。

多分、丘の上から牧師先生が写したと思う」というのです。

その答えを聞いた時、

一番しんどかったのは、

長男ではなく、8つ上のお兄ちゃんだったかも。

と思ったのです。

多分、彼は、色々な事が思う通りに出来ないのでしょう。

こうしたらダメ。みんなに迷惑かかるし、嫌われるかもしれない。

って分かっているんじゃないか…

でも出来ない自分がいるのです。

祈ってもなかなか変わらない自分。

ダメだと分かっていてもしてしまう自分。

自分で自分の心を治める事が出来ず…どうしていいか分からない彼は

それでも1人で祈っていたんだと思ったのです。

教会で輪を乱す人は、自分でも何となく分かっていると思います。

自分は好かれていないとか。

自分に対して不満な思いを持ってる人がいるとか。

でも、多分…どうする事も出来ない…

祈っても自分は変われない…

そう思ったら、この様な輪を乱す人っていうのは、

凄く孤独かもしれません。

自分の中で葛藤しながら信仰生活を送っているのではないか…

もし誰か一人でも、そんな人の隣人となって

共に祈ってあげる事ができたら…

その人も、主も、喜ばれるのではないか…と思いました。

…多かれ少なかれ、

彼の姿は、私の姿です。

私もこのままでは、祈り願うような姿に変わらないと、

分かっていながら我を通す事があります。

分かっているのに、出来ないのは、苦しい状態です。

主なら、そんな私たちの姿を見て、

ため息をつかれるのではなく、

憐れみの思いで見て下さるのではないか…

私は人を責めたり、評価できる人ではない…

主がされないのに、私がするなんて…

8歳年上のお兄ちゃん。

主が彼の心を触れて下さり、深い慰めを得る事が出来ますように…

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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