あなたはどのタイプですか【ルカ17:11-19】

2024年

そのころイエスはエルサレムに上られる途中、サマリヤとガリラヤの境を通られた。
ある村に入ると、十人のツァラアトに冒された人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、
声を張り上げて、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください」と言った。
イエスはこれを見て言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」彼らは行く途中できよめられた。
そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、
イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。
そこでイエスは言われた。「十人きよめられたのではないか。九人はどこにいるのか。
神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」
それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」

ルカ17:11-19

今日、聖書を読んで感じた箇所です。

「10人のらい病人を癒す」話。

10人のらい病にかかった人たちは、

エルサレムに向かう道中のイエスさまと出会い、

癒しを求めました。

そして10人は、祭司たちに自分の体を見せに行く道中、

自分の体に癒しが成された事に気付き、

10人の内1人は、イエスさまの元に戻って来て

癒された事を伝え感謝をしたと言う話です。

同じ病にかかった10人…

完治したという証を貰う為に、先を急いだ9人と

来た道を戻り、主に感謝を伝えた1人。

この人たち差はなんだろう…

聖書から分かる事は、引き返した1人は、

「大声で神をほめたたえながら引き返して来て」と記録されています。

大声で神を褒めたたえたのです。

9人も、癒し主はイエスさまだと分かっているはずです。

イエスさまに癒しを求めた後に癒しを体験したのですから。

らい病にかかり人生終わった…と思っていた状態から一転し、

癒しを得れたのです。

この9人も大喜びしたでしょう。

祭司に、らい病ではないと言う認定をもらい、

どん底の人生に終止符を打ちたかったでしょう。

早く家族や友達に、認定を受けた事を共に喜んで欲しかったはずです。

だから、祭司のもとへと先を急いだのです。

そう考えると多分…

この後を引き返して戻って来た人は、

9人に比べて「癒し主に感謝する心」があったのではないかと思います。

私たちも、自分ではどうする事も出来ないピンチな時、

誰かに助けを得れたら、大きく感謝するのではないでしょうか。

感謝が溢れたら、

本当にありがとう!と思いを伝えたくなるはず。

でも、その助けがごく小さい物だったら、どうでしょう。

わざわざ後戻りをして、感謝を伝えるというより、

「ラッキー」位で、有難みを済ませてしまうかも知れません。

私はどっちのタイプだろう…と考えました。

私は、主に感謝し、その思いを後戻りしてまで主に伝えにいけるだろうか。

そう考えた時、

ちょっと違う自分の姿が頭に浮かびました。

私が、らい病にかかったのです。

そして目の前にイエスさまの姿を見たのです。

全身がかゆく、痛い… 見た目も物凄く嫌な状態。

家族からも距離を取り、社会からも隔離される

時間、または人生を歩まないといけなくなったのです。

そんな人生どん底に追いやられた時にイエスさまに出会ったのです。

私も「癒し」を願うと思います。

その私の願いに対してイエスさまはこう言われたのです。

「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」

10人は、癒しを体験せず、イエスさまから離れ、

祭司のもとへと足を向けたのです…

そしてその道中で癒しを体験したのです。

私なら…そんな事、出来ないように思います。

「主よ。私の体は醜いままです。どうか癒しを与えて下さい!」と懇願し続けると思います。

多分、地面に座り込み、泣きながら「どうか癒して下さい!!!」と

訴え続けると思います。

目の前で、癒しを体験すれば、私は納得すると思います。

見た目に変化がないまま、

もう一度、会えるかどうか分からない

イエスさまの元を離れるなんて出来ないように思います。

しかしこの10人は主の言葉を信じたのです。

自分の体は癒されていないけれど、

イエスさまの元を離れ、

言われた通り祭司の方に歩き出したのです。

この聖書の箇所では、

主のもとに戻って来た1人に注目して書かれている様に思います。

しかし、私はこの9人以下かもしれません…

泣きながら癒しを体験するまで求めそう…

それと、もう1つ気付いた事があります。

最後に主が戻って来た1人に対して言われた言葉。

「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」

ここで分かる事は、

10名はイエスさまと出会い「癒し」を体験し、得ることが出来ました。

しかし「救い」まで手に入れたのは1人なのです。

この1人は、「癒し」に対して感謝しに来たのに、

主は「救い(信仰)」の話をしました。

主にとっては「癒し」より「救い」が大切なんだと思いました。

私たちが今問題となっている「癒し」に

心が奪われ、癒しを求める心を主は分かって下さると思います。

しかし、主にとっては「救い」の方が大切なんだと

改めて感じました。

今日、私の信仰は、この9人以下だと気付かされました…

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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