主の目の付け所【Ⅰサムエル16:7】

2024年

しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」

Ⅰサムエル16:7

最近、気付いた事がいくつかあります。

私は今、次男が通う学校のPTA活動をしていて、

学校に問題が多く、とても忙しく過ごしています。

明日も夜勤明けに、違う韓国系の学校が集まり会議に参加します。

また、学校の色々な問題解決の為に、

色々な機関に文章を送ったり訪問したり、

マスコミのインタビューもあります。

とても一人では出来ない状態です。

今年度の役員を決める時、

私は凄く信頼していて、

長年共にPTA活動をしてくれている保護者2人を、

私の近い存在として活動してもらえるようにお願いしました。

そしてそれ以外の役員さんは、全く初めて参加する人や、

私とは違う意見を持っている人。

まず反対意見を直ぐに言うけれど、

理解してもらえれば強い味方になってくれる人。

など、様々です。

通年のPTAは、保護者会のように、

穏やかでコーヒーを飲みながら

違う学年の保護者との出会いを楽しむ場でもありました。

しかし、今は違います。

このままでは、韓国系の子どもたちの居場所である学校がなくなってしまうのです。

ある意味「戦い」です。

私は一人で対応が出来ないので、

沢山の人に仕事を振り分けます。

「前回、上手く文章を書いてくれたし、今回もこの保護者にお願いしよう」

「韓国語の翻訳は、この保護者に頼もう」

「説明会の進行は、この保護者が上手」

「この部分の説明は、この保護者に担当してもらおう」と

振り分けを考えます。

今まで私が見て来た、その保護者の能力、

その人が持つ人柄が、この場でも生かせる!と判断するからです。

そしてふと思ったのです。

私は、人の過去を見てる…と。

この人は前に、〇〇が出来たから、適任!

この人は、他の保護者から信頼が厚いから…

と、今までの実績というか、今までの経験、結果を参考に人を選んでいます。

…主は違うはず…

主は、パウロを選ぶ時、過去の実績、人柄、経験を考慮しませんでした。

人間的には、パウロは一番ダメな人間です。

キリスト教の迫害者です。

クリスチャンだと分かると捕まえ、拷問し、尋常にも命を奪っていたのです。

パウロは主の弟子となるなんて…

一番ダメでしょう…💦

人選ミスもいいところ…だと思いませんか?

しかし、主はパウロの過去に目を留めず、

パウロの持つ未来に目を留められたのです。

と、いう事は、

主は、私たちの過去に目を留められない…

過去に、こんな大きな失敗をした。

主が私の為に十字架に架かって下さり、

罪を赦して下さったと知りながら、

また私は罪を犯してしまった…と言うような思い。

主に愛されながらも、人を愛せない自分。

主に赦されながらも、人を赦せない自分。

主の似姿に成長出来ない自分…

主はそこに目を向けられないように思います。

主は、パウロの未来に目を向けられたように、

私の未来に目を向けて下さる方。

私たちは、人の過去を参考に、仕事を振り分ける行為は、

効率よく仕事をこなそうとする

「知恵がある」行為のように思ってしまっています。

「知恵がある」のではなく「愛がない」のかもしれない…

と考えさせられました。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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