死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。
箴言18:21
次男の学校の保護者の方で
事ある毎に「私、頭悪いんです」というお母さんが居られます。
時折そのように言われるので、
何となく、私まで気持ちが暗く感じていました。
「自分のこと、そんな風にいわないでよ~」と何度言っても、
「イヤイヤ…本当なんです…」と言われます。
彼女がその様に口にする度に、
私は凄く気になっていました。
そして先日、このような言葉を目にしました。
「自ら発した言葉は、
自分の潜在意識の中にそのままインプットされる。
潜在意識や脳は、主語を区別しないので、
他人に対して言った言葉と
自分に対して言った言葉を区別せず、
自分の中に入り込む」
潜在意識と脳に主語がないのであれば、
人に言われた言葉、
自分に発した言葉、
人が第三者に対して言った言葉。
全てが、自分の中に入り込んでしまうのです。
もし、人に「あなた頭悪いよね」と言われたら傷つきます。
しかし、自分で「私、頭悪いんです」と言えば、
どこか自虐ネタのようで、傷はつかず、
笑って過ごせるように感じます。
しかし…人に言われた言葉と、自分が発した言葉。
同じように自分の中に入り込むのです。
自虐ネタの、自分に対する否定的な言葉は、
人に言われた言葉と同じ思いを、脳が受け取るのです。
もしも…
誰かに「あなたって本当にどうしようもない」
「また失敗したの?」
「何の役に立たない」「頭悪いんじゃない?」
「あなたの顔…どうしてそんな顔なの?」
「もう少し目が大きかたら良かったのに」
「私はあなたを好きになれない…」
「あなたは何の為に生きているの?」
「あなたは生きる価値がある?」
って言われたら…どうでしょうか?
凄く…深く傷つきます。
しかし…私たちは、自分に対してそのような思いはないでしょうか。
鏡を見る度に…「もっと…目が大きかったら…」
「もっと鼻筋が通っていたら…」
「私なんて…」という思い。
それらは、単なる自分の中の思いではなく、パワーがあるのです。
自分のセルフイメージを低く低く、育てている事になるのです…
もし上記のような言葉を人に言われ続けたら…
肯定的に生きて行く事は難しいと思います。
自分の基本の中に「私なんて…」という思いがベースに出来上がってしまうのです。
人に言われたのと同じぐらいの言葉で、
私の心を作っていってしまうのです。
そしてその心が考え方、思考パターンを創り上げ、
その思いの通り生きて行く事になるのです。
…という事は、
言葉が私の心を作っていくのですから、
人からどのような評価を受けようと
自分で肯定的な心を作っていく事も可能だという事だと思います。
「主よ。感謝します!」
「主の祝福が、今日も私に沢山注がれる事を感謝します!」
「今日も、あなたが私の神であることを感謝します!」
「今日も、喜びに満ち、愛に満ち、信仰に満たされた一日を歩めることを感謝します!」
「主が共に居て下されば、私は出来ます!」
と祈るのです!!!
祈りにより、主に喜ばれる姿へと成長する事が出来ますように…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)