今日、私の心はどうだろう…【ルカ12:35-37】

2024年

腰に帯を締め、あかりをともしていなさい。
主人が婚礼から帰って来て戸をたたいたら、すぐに戸をあけようと、その帰りを待ち受けている人たちのようでありなさい。
帰って来た主人に、目をさましているところを見られるしもべたちは幸いです。まことに、あなたがたに告げます。主人のほうが帯を締め、そのしもべたちを食卓に着かせ、そばにいて給仕をしてくれます。

ルカ12:35-37

今日、この個所を読み「腰に帯を締め、あかりをともしていなさい」

という御言葉が心に留まりました。

これはイエスさまが、いつもう一度、この世に来られるか分からないから、

常に主が来られる準備をしなさい。

そして私たちが天の御国に入れられた時、天の御国で祝宴に招いて下さるという意味…

この個所を読んだ時、

主は私たちに対して、再臨の備えをしていなさい。

私たちに「帯を締めなさい」「明かりを灯しておきなさい」と言われている…。

帯を締めるって…どうしたら良いのだろう…と黙想した時、

このような場面が頭に浮かびました。

小さな子どもが、父親の帰りを待ち焦がれるように、主を待っていなさいという事ではないか…?

出張の多いパパを、子どもは「パパはいつ帰って来るの?」と

何度も何度もママや周りの大人に聞くのです。

そしてある時、玄関が開く音がすると同時に、

玄関から自分の名前を呼ぶ声が聞こえるのです。

子どもはパパが帰って来た!と分かり、

楽しく遊んでいたおもちゃを、

何のためらいもなく手放し、何も持たずに玄関に走って行きます。

すると玄関には、パパが自分を抱っこしようと両手を広げて待っているのです。

両手にはお土産を持ちながら。

子どもは待ちに待ったパパに大喜びで、パパの胸に飛び込みます。

パパに抱かれ部屋へ入るのです。

この子どもの様に、主を待ちなさいと言われているのではないでしょうか。

早くパパに会いたい…という思いがいつも心一杯にあります。

何をしていても、パパが気になるのです。

パパが帰ってきたら、僕を抱きしめてくれるのに。

パパが帰ってきたら、僕の名前を呼んでくれるのに。

パパが帰ってきたら、沢山話を聞いてくれるのに。

パパが帰ってきたら、お土産を沢山持って来てくれるのに。

パパが帰ってきたら、、、僕はそれだけで幸せなのに。

こんな思いで、パパの帰りを待つのではないでしょうか。

だから、遊んでいたとしても、玄関のドアの音だけで、

子どもは反応し、直ぐに駆け寄る心の準備が完了しているのです。

家に帰って来たパパは、子どもを抱っこして

「パパが居ない間、どうしてた?良い子にしてた?」と聞くと思います。

パパは留守にしている間、ママから子どもの様子を聞いているはずです。

写メも受け取り、子どもの様子を把握し理解しています。

しかし、パパは子どもに聞くのです。

「パパが居ない間、どうしてたの?」って。

どうしてでしょうか。

子どもの口から、どうしていたのか聞きたいのです。

どうして過ごしたのか、どれ程パパに会いたがっていたのか。

頑張った話。悔しかった話。辛かった事。

悲しかった事。楽しかった事も。

パパは全てを分かっていながらも、子どもの口から、話を聞きたいのです。

そしてパパは子どもの話す事に共鳴したいのです。

「そっか。そっか。頑張ったね」「悲しかったね」

「パパもあなたに会いたかったよ」

「パパを待ってくれててありがとう」

と言いたいのです。

そして、パパは子どもにとって良いと思ったお土産を渡すのです。

これを受け取った時、子どもの喜ぶ顔を想像しながら選んだお土産です。

子どもは、一層、パパの帰って来た事に、喜びに満たされるはずです。

しかし、もし親子関係がこの様でなければどうでしょう。

子どもは特にパパの帰りを気にしないと思います。

パパはあまり家に居ない人。だと理解するのです。

そのような子どもは、

もし、パパが帰って来た時、玄関で自分の名前を呼んでいたとしても、

テレビやゲームの音で、パパの声を聞き分ける事ができないかもしれません。

「どうしてた?」という質問にも、

多分、一生懸命答えようとしないのではないでしょうか。

沢山、話を聞いて欲しいという思いがないからです。

子どもは「別に…」とだけ答えるかもしれません。

主は、私たちが前者の子どものように、

″主を待っていなさい…”

″いつ主が帰って来ても反応できるように待っていなさい”

と言われているのではないか。と思いました。

暗闇に隠れるように、主を恐れて待つのではなく、明るみで期待する心で待つのです。

なぜなら、主を信じるものは既に罪赦された者なのです。

ずっと良い子の状態でパパを待つ事は出来なかったけれど、

それでも暗闇に隠れなくて良いのです。

最も大切なのは、パパを思う心。

私の心はどうだろう。

前者の子どものように主を待ち焦がれているだろうか。

昔はそうだったけど… となっていないだろうか。

時折、自分の心の状態を確認しないといけないな…と思いました。

今日も、主の事を考えて過ごそうと思います!

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