そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」
民数記13:30
「恐れ」について黙想しました。
一番に思い出すのはこの話です。
モーセをリーダーとして、イスラエルの民はエジプトの奴隷生活から解放されました。
そして約束の地「カナン」を目指したのです。
そして主がモーセに言われました。
「人々を遣わして、わたしがイスラエル人に与えようとしているカナンの地を探らせよ。父祖の部族ごとにひとりずつ、みな、その族長を遣わさなければならない。」
そしてモーセは12名を選び、カナンの地に偵察隊を送りました。
その地がどんなであるか、そこに住んでいる民が強いか弱いか、あるいは少ないか多いか、土地の様子、肥えているか痩せているか。宿営か城壁の町かを調べさせました。
40日後に、偵察隊が戻り、うち10名は、
カナンの地は乳と蜜が流れており、見事な果物が実っている事。
また、その地に住む民は力強く、その町々は城壁を持ち、非常に大きく、自分たちはまるで「いなご」の様だと言いました。
それを聞いた群衆は、恐れあがり、大声で泣き叫びカナンの地に入る事は無理だと思ったのです。
しかし、カレブとヨシュアだけが、主が私たちに下さる土地だと言ったのです。
結果的には、40年後にイスラエルの民は、約束の地カナンに入る事が出来ました。
しかし、入れないと言った10人は、約束の地に入る事が許されず、出来ると信じたカレブとヨシュアだけが、カナンの地に入る事が出来たのです。
…実は、カナンの地への偵察は2回行われており、その時に思ってもない事実を知るのです。
40年後に2回目の偵察隊が送られました。
この偵察の時、イスラエル兵は遊女のラハブの助けを得て、エリコの兵から守られたのです。
その時に、ラハブがイスラエル兵に言った事があります。
「私たちは、主があなた方にこの地を与えようとしている事を知っている。私たち住民は、あなた方が責めてくることを恐れおののいていた。」
あなた方の神は、あなた方がエジプトから連れ出された神。
海を二つに分けられた神。
色々な敵から守り奇跡をもって荒野を導かれた神。
あなた方が上って来た時、私たちの心はしなえて、誰も勇気がなくなったのです」と言ったのです。
初めの偵察隊が行った時、本当は相手のカナンの地の人々は、
心は萎えて、誰も勇気を持てずにいたのです。
カナンの地の人々は、イスラエルの民に対して、恐れおののいていたのです。
しかし、イスラエルの民10人も、カナンの地の人々に対して恐れていた。
「恐れ」は、事実を曲げてしまう…
「恐れ」は、私たちが見ている世界を歪めてしまうということです。
「恐れ」は、事実ではない事を私たちに信じさせるのです。
「恐れ」は、物事を正しく受け止めないようにするのです。
恐れだけでなく、不信仰、否定的な考え、批判は、人々に強く感染してしまう事が分かります。
感染した人々を、信仰の歩みから引き離すようになってしまうのです。
この10人と2人の差は何処にあるのでしょうか。
イスラエルの民は、どこを見るべきだったのでしょうか。
目に写る問題に対して、私たちには力がなく、絶対に出来ない。無理だ。不可能だ。どう考えても出来ない…という思いてはなく、
私たちの主が、何をして下さるのだろうという期待感。
海を割って私たちを守って下さった主の偉大さに心を向けるべきだったのです。
私は、目の前の問題に心を奪われていないだろうか…
途轍もなく大きく不可能に感じ、諦め、尻込みしていないだろうか…
主が出来る!と言われていることに、
それを信じ「アーメン!」と前進できる信仰を持ちたいです。
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」