そこで、兄弟たち。堅く立って、私たちのことば、または手紙によって教えられた言い伝えを守りなさい。
どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、
あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。Ⅱテサロニケ2:15-17
先日、次男が学校の授業でプレゼンをする時、「教会について」話しました。(10/4ブログ)
そして昨夜、「プレゼン、もう一回したい…もっと祈ってからすれば良かった。パワポを作るのに必死で、祈って準備するという事が足らなかったように思う…」と言いました。
私「そっか~ どうして、もっと祈れば良かったって思ったの?」
次男「‟種蒔き”の例えで、同じ種を蒔いても、良い地に落ちた種は実を結んだ。
種を蒔く前に祈って、友達の心が良い地な状態になる事を祈って準備してから、プレゼンしたら良かった…」と言いました。
私「確かに…‟時が良くても悪くても伝えなさい”って言う御言葉もあるけれど、相手の心が良い地になるように祈り、耕された状態ですれば、もっと良かった…そうだね~」
という会話がありました。
確かに… まず祈り、相手の心が耕され良い地になるように準備をする。と思いながらもう一度、マタイ13章を読みました。
13章にはイエスさまの話を聞こうと群衆が集まり、イエスさまは2つの例え話をされています。
1つ目の例え話は、種を蒔かれた人の心の状態による結果。
道端に落ちた種 ⇒ 御言葉を聞いても悟らないと、悪い人が来て蒔かれたものを奪っていく。
土の薄い岩地に落ちた種 ⇒ 御言葉を聞くと直ぐに喜んで受け入れるが、根がない為、困難や迫害が起こるとすぐにつまずく。
いばらに落ちた種 ⇒ この世の心遣いと富の惑わしが、御言葉を塞ぎ実を結ばない。
良い地に落ちた種 ⇒ 御言葉を聞いて悟る人。良い実を結ぶ人。
2つ目の例え話は、
自分の畑に良い種を蒔いた。
しかし眠っている間に、敵が来て畑に毒麦を蒔いた。
そして時が過ぎ、良い麦と悪い麦が混ざって成長していたのです。
…何となく似たような例え話で、違う内容…
どうして続けてこのような話をされたんだろう…
共通して言える事は、「御言葉を聞く人には絶えず攻撃がある」という事だと思います。
1つ目の例えのように、「内なる邪魔をするもの」「内的な妨げ」「内なる攻撃」
2つ目の例えのように、「外からの攻撃」
主に近づこうとする時、御言葉に従おうとする時、
それを阻止しようとするものが働くという事です。
自分の心に、懸命に良い種を蒔いても、気付かない内に、上から毒麦の種を蒔かれていたりするのです。
良い麦を育てているつもりでも、後になって毒麦が混ざっており、戸惑う事もあり得るのです。
私たちは、内的にも外的にも攻撃される対象であり、危険にさらされているという認識が必要なのです。
イエスさまも40日の断食の後に、誘惑にあわれました。
イエスさまは御言葉と祈りによって勝利されたのです。
私たちも、自分の信仰を守る為にするべき事があります。
自分の心の中に御言葉を蓄える必要があります。
日々、祈る必要があるのです。
与えられた信仰がなくす事がないように、今日もしっかりと御言葉に立って共に歩んで行きましょう!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」